意味なんかないんだ。

クラブに行った。
何年ぶり。いや、何十年ぶりに。


若いころよりも、「素直に」楽しめた。
あのころは不器用で、
自分という存在に自分の思いや考えが反映されていなくてはいけないと思い込んでいた。

自分のやっていることにどんな意味があるのかと
いつも誰かに問われている気がしていた。
「こうありたい」自分が体現できていなくてはと、
ずいぶんムチャなことを考えていた。


もちろん。そんなことはできっこない。
ありたい自分になれたなら、そのときそのように他人は見てくれるだろう。

だのに、
ありたい自分のイメージが自分にあるからといって、
外見を先取りしてから、内側を詰めようとしていた。
せっかちなものだから、時間の順序をあべこべにしていた。


意味なんか、無いんだ。
意味は、所与にあるわけではない。

クラブで一緒に踊っている若者たちを見て、わかった。
いま、踊っている僕たちは、ただこの瞬間のために踊っている。

いま、踊っている行為が、明日には意味を持つかもしれない。
そう。夜が明けるころには、ことばというレッテルを張られて、意味を持たされるだろう。

「クラブ X 農業」だとか「成功じゃん」とか「課題だね」とか。
「出会いがあったな」とか「かわいいコがいたね」とか。
そんなことばたち。

踊っているこの瞬間には、意味はまだ、追いついていない。
ことばはまだ僕たちの背中に貼りついていない。


夜が明けたら、
明日になったら、
意味と戦おう。

未来へ向けて、
僕らが踊っているこの瞬間が、
どのような意味を持つのか。
ことばとことばの戦いを再開しよう。

いまは踊っていればいい。
未来はあとからついてくる。