試練は引き受ける者を救う。

友だちに待ち望んだ赤ちゃんが生まれた。のだけれど、翌朝、天に召されてしまった。
「一日だけでも赤ちゃんと夫婦三人で一緒に居れて幸せでした。」と彼女からのメールに涙。

彼女の強さに心を打たれながら僕は古事記の冒頭のイザナミイザナギの話を思い出していた。
イザナミイザナギが最初に産んだ子は流れてしまった。くにのはじまりの物語で、どうしてこんな不吉なことを言い伝えるのか、僕はずっと釈然としなかったのだが、いまはわかる。

命の始まりに試練があるという当然の事実を伝えていたのだ。
わたしたちが生きているこの自然界の真実。その試練は生きる者すべてが負っている運命といっていいかもしれない。

赤ちゃんは自宅で自然出産だった。
病院で産んでいれば助かったかもしれないという思いは僕にもあるのだけれど、それは違うと思う。
もし病院で産んで亡くなったら、彼女はもっと立ち直れないだろう。誰かを恨んでしまって。
自分たちの力を信じて産んだ結果だから、試練も受け止めて、乗り越えられる。


試練はそれを引き受ける者を救う。
送られてきた写真の中で彼女とだんなさんは、もう眼をつむってしまったおさなごを抱いて力強く笑っていた。