あの地震のあと、ぼくの中の何かが変わってしまった。気がする。

あの大地震のあとからずっと、なぜか心が落ち着かない。もう二週間になろうというのに。

地震がぼくの中の何か、世界の見え方のようなものを決定的に変えてしまった。そんな気がする。

実はこの感覚は初めてではない。9/11のときにもあった。
あのときも自分が今まで立っていた世界が突然ゆらぎだす思いを感じた。

無意識のうちにも頼っていた「強くて正しいアメリカ」がテレビの中で崩れ去り、力の支配の弱さと、正しさはけしてひとつではないことを教えてくれた。

WTCビル崩壊のニュースに歓喜するパレスチナの街かど。
あのショックをぼくは一生忘れないだろう。
映像がぼくに「世界は多様で広い。もっといろんな立場から見ろ」と言っていた。


あれからぼくは世界について考えるようになった(つもりだ)が、
今回は考え方というよりも行動を促されている気がする。
お前の生き方はこれでいいのか。こんなところでぐずぐずと惰眠をむさぼっていていいのか。と。

ぼくたちの世界はすでに変わっている(気がする)。

自然に逆らわない生き方。

鉄とコンクリートとカネで造ったみせかけの繁栄。
地球のてっぺんでわがもの顔に電気を、石油を、使いほうだい。
命あるものをカネで買えるものだと勘違いして飽食する。

そんな生活は、すでに終わっている。
ことに、やっと気づかされた。

そして、ひととひとのつながり。助け合いで世界は動いている。
ことがあらためて身につまされる。
旧い組織や、カイシャというしくみでは動きにくくなっている。
カイシャではなく、ぼくとしてどう動くのかが問われている。

この地震もこれからたくさんのことを教えてくれる気がする。
いまはまだ、変わってしまった世界の輪郭がよく見えないぼくだけれど。