サブカルという生の誇り - 「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」を読んで。

確かに主人公のオスカーは女にもてない「オタク」だが、彼は、そしてこの壮大でありながらスピード感にあふれた物語に出てくる人びとは、誰も受け身ではない。誰も現実から逃げたりなどしない。
彼は、彼を取り巻く暴力的な世界と向き合う。そして傷つけられ、傷つけられ、傷つけられてもまた向き合う。

彼にはほかの道はないのだ。そして僕たちは気づく。僕たちにも(少なくとも僕には)ほかの道などないということに。僕たちは誰しも、この暴力と不条理に満ちた厳しい現実の中にひとりで立たされている。ということに。気づく。僕たちは、オスカーなのだ。

オスカーの視点から、つまりこの世界を生きる者ひとりひとりの地べたレベルの視点から、この世界をもう一度眺め、とらえなおすことができたこと。それが僕にとっての読後の収穫。そこが「チボの狂宴(リョサ)」との違い。
さあ、僕のいち日を生きよう。

(白状します。最後のところでは泣いてしまいました。男の子ならみんなわかってくれると思う。)


「オタク」
彼の「オタク(原著ではnerdというらしい)」的な性格にはSF映画マニア、文学青年といった要素がふんだんに含まれている。21世紀の東京ではオタクと映画愛好家は別カテゴリだし、文学青年は絶滅危惧種だが、ニューヨークらへんではまた違う状況なのかもしれない。きっとまだサブカルチャーという言葉が命を持っているのだろう。うらやましい。


ってAmazonにレビュー。