キーワードで安心するな!
農大の先生(稲泉さん)のゼミの話のつづき。
エミールや三澤勝衛を読んで、学生同士で問いを設定してディスカッションをするのだが、
当然ただ読みとばしただけでは、きちんとした質問も答えもできない。
仲間に発する問いを考えるために、そしてその問いに答えるために、
学生たちは、読んだことを咀嚼して自分の言葉に置き換えてみる。
もちろんつたない問いや答えの応酬なのだが、
先生はヘンにまとめたり、先回りして誘導したりはしない。
じっと我慢して聞いている。
そしてゼミの終わりに
三澤勝衛の
「しかし体験のともなわない知識は真の知識ではない」
(三澤勝衛著作集第2巻p326)
ということばについてのディスカッションを振り返って、
他人がまとめてくれたキーワードでわかった気になることの危険をおっしゃった。
この情報化社会にはたくさんのキーワードがあふれている。
そしてキーワードを聞いて、また、そのままひとにしゃべることで、
本人はわかった気になっている。
しかし本当はキーワードの中身はわかってはいないんじゃないか。
自分の頭で考えて、自分の言葉でしゃべること。
たとえつたない言葉であって、ヌケやオチの多い議論であっても。
それが単なる「情報」が、身についた「知識」になるということではないか。
と。
僕もこうやって、聞いた言葉や、読んだ文章を、
ひとにむかって説明しようとすることで、
自分のものにしているのだと思う。
めんどくさがらずに、blogをつけよう。